能と鼓

能と小鞁

人類が始めて手にした楽器は打楽器とされています。
打楽器の世界分布などを見ますと、そのまま人類の移動と重なり興味をそそられます。
日本には古く縄文時代から南方系の打楽器と北方系の打楽器が流入し様々に発展した模様です。正倉院の木簡には「投鼓(とうこ)」と呼ばれる道化が鼓を放り投げながら滑稽なしぐさをしている絵が残りますが、雅楽等と共に流入したこれらの楽器が日本文化の洗礼を受け足利時代にはほぼ今の形の大鞁、小鞁の原型が生まれ、さらに元禄時代には演奏技術の発達と共に室内化が進みそれまでの屋外的な強い音ばかりでなく、多彩な変化に富む楽器の側面を併せ持つ楽器となりました。そこには仏教哲学の影響、四季を伴う日本の自然環境の与えた奇跡的な偶然が「世界一美しい音色の打楽器」と言われる程の進化を遂げたのです。
 能楽の中で小鞁は肉に、大鞁は骨に例えられ、又この二つが陰陽に対応し、単なる楽器のアンサンブルとしてだけではなく、演奏の理想をその和合に置きます。そのため能楽という演劇に音楽を伴奏するのではなく、囃子の演奏自体が楽劇の一部として生きなくては成らない要素を持ちます。音に対する考え方も、単に綺麗な音を出すのではなく、間を確認するために前後に音を打ち込んでいると考えられ能独自の音楽世界を産み出しています。
 「鞁」の漢字は辺に皮の字を当てます。また、太鼓と大鞁を間違えないために大鞁を大皮と書く習わしが有ります。いずれも間違いでは無く特に江戸以前には大筒(オオドウ)小筒(コドウ)という呼び方もあり、石垣島の呼び方が未だにそれを用いていたのには驚きました。  日本でもっとも知られている独自の楽器の一つですが、構え方を始め認知度を高めることが出来ればと思います。

 

大倉源次郎